
イソップ寓話「アリとキリギリス」について綴っていきます。
あなたは「アリ」と「キリギリス」
どっち?!
働き者のアリと歌うキリギリス
ある熱い夏の日のこと。
キリギリスはヴァイオリンを弾いて、歌を歌っていました。
アリはえっさえっさと食べ物を運んでいました。
「ねえ、アリさん。何をそんなに急いでいるんだい」
「それはね、キリギリスさん。今後が怖いからだよ。何があってもいい様にしこたま餌を溜めておくのさ」
「なるほどね。だけど、餌を運んでいる姿はとても苦しそうだよ。僕と一緒に歌おうよ」
「キリギリスさん、君は冬が怖くないのかい?」
「怖いよ。だけどね、生きている内に楽しまなきゃ。アリさんみたいに堅苦しいと人生楽しくないでしょう」
キリギリスはアリのこと笑った。
「君とは話が合わないね。さようなら」
______
月日は経ち、凍える様な寒い冬がやってきました。
キリギリスは餌も無く、ひもじい思いをしていたのです。
「流石に堪えるな…。そうだアリさんの所に行って餌を分けてもらおう」
キリギリスはアリの家を訪ねました。
「アリさん。餌を分けてちょうだい」
アリは冷ややかな目で、言い放ちます。
「キリギリスさん。なんで今餌がないか考えてごらん」
アリはバタンと家のドアを閉めました。
「夏の間に歌ったのなら、冬の間は踊ればどうだい?」
…
キリギリスはその場に倒れ、最後に呟きました。
「…楽しかったなあ」
よいしょ…よいしょ…
アリは夏に向けて働くのです。
教訓
「遊んでばかりいて、何も備えずに死んでしまうキリギリス」
「勤勉で常に蓄えていたお陰で助かるアリ」
どちらが”賢い“生き方なのかは一目瞭然でしょう!
「アリとキリギリス」を子供の頃に教えられた人も多い筈。
遊んでばかりいないで、真面目に働きなさい!
とてもいい教えだと思います。
新解釈
…だけど、この寓話とても気になる点があります。
アリはキリギリスの事を見捨てるのです。
確かに「遊んでいた報い」といえばそうですが…少し”利己主義“じゃないかと思います。
この寓話、見ようによってはこの様な考え方も出来ます。
「みんなを楽しませようとしている愚か者」
「自分だけ助かろうとする知識人」
そして、
「今を楽しむ者」
「未来という恐怖に怯える者」
こう言った側面があると思います。
現代は「アリ」ばかりが称賛され、「キリギリス」はさも、絶対悪の様にされる事も多いですが、
一体どちらの人生が本当に幸せなのでしょう…