
グリム童話「天国へ行った水呑百姓」のご紹介!
らくだが針の穴を通る
ある所に信心深い百姓がいました。毎日汗水垂らして働いてはイエス様にお祈りする尊い生き方をしていて、ある日バタンと倒れて死んでしまいました。
こうして天国に送られた百姓。ちょうど送られてきた身なりのいいお金持ちの旦那がこちらに会釈して、歩いて来ました。
「どうも」
「どうも」
「死んでしまいましたな、さて、ゆっくり休みますか」と、金持ちの旦那は優しい笑顔で云いました。百姓の方も笑顔で返しました。
そこに、聖ペテロがやってきて天国の門を開けて金持ちの旦那を入れました。金持ちの旦那は音楽や歌で歓迎されました。
聖ペテロは次に百姓の男を入れました。温かく向かい入れてくれたものの、音楽や歌などの華やかさはありません。
百姓は少し不満に思って聖ペテロに尋ねました。
「私と金持ちの人はどうして扱いが違うのですか?贔屓は困ります」
「いや、贔屓しているわけではない。ただ百姓は毎日来るが、金持ちは100年に一度くらいしか来ないのでな」
感想
一見すると、「金持ちは少なくて、貧乏人は多い」という不条理な世の中を表した童話に思えますが、金持ちだから天国に行けるわけではありません。
聖書にも「金持ちが天国に行くのはラクダが針の穴を通るより難しい(マタイ福音書19章16-26節)」とあります。
では、何故この金持ちの旦那が天国に行けたのか、それは「施し」をしたからです。
「完全になりたいと思うなら貧しい人に施しなさい。そうすれば天に富を積む事になる」
この金持ちは“貧しい人々に沢山の寄付”をしていたから天国に行けた心の優しい金持ちだったのです。
この童話の“教えたかった”ところはそんな“心の優しい金持ち”が100年に一回しか来ないという嘆きではないでしょうか。