大航海時代、西洋諸国はこぞって新天地に足を踏み入れた。
今回は入植してきた開拓者が瞬く間に姿を消した「ロアノーク植民地」についての紹介と考察です。
最初の開拓者
1585年ごろにイギリスの開拓者達はロアノーク島という島を発見。(現・アメリカ合衆国ノースカロライナ州デア郡)
この地に元々住んでいたインディアンを追い出して、この地を植民地として開拓していった。
第二の開拓者
1587年にイギリスは再びこの地に117人の部隊を派遣させて入植を進めた。
しかし、部隊を指揮していたジョン・ホワイトは先住民との確執、食糧難に困り、本国に救援を求めるために一旦帰国した。
植民地にはホワイトの妻子や仲間達.115人ほどが残った。
…
消えた入植者達
この頃イギリスとスペインは戦争中にあり、大西洋横断はかなり危険なものであり、ホワイトも命辛々帰国した。
その後もスペインとの戦争が続き、補給にはおよそ3年程の歳月がかかってしまった。
ホワイトが植民地に残した孫娘は3歳になる頃であった。
胸を昂らせて、3年ぶりにその島に降り立った時に、
ホワイトは目を疑った。
開拓地は荒廃しており、入植者全員が姿を消したのである
謎のメッセージ
入植者達の形跡も全くなく、争った痕もない。
しかし、唯一の手がかりが柱に書いてあった謎の文字である。そこにはこう書かれていた
(CROATOAN)

どこへ消えた?
この事件は「失われた植民地」として名を刻まれる。
この不可解な事件は様々な仮説が立てられた。
- インディアンに吸収された
最も入力なのが、インディアンに吸収されて、どこへに去ってしまったというもの。
- 追い出された
インディアンに追い出され、その結果、餓死或いはどこかに移り住んだ説
- スペインからの攻撃説
敵対していたスペインの船に発見され、攻撃されたという説。(しかし、争った痕跡はないため、どうだろう)
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住民全てが姿を消した「ロアノーク植民地」
現在でも多くの謎を残した集団失踪事件として知られています。
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