
科学では決して説明できない…
今回は日本三大怨霊「平将門」の首塚伝説と生涯を紹介!
平将門って誰?生涯を簡単に
まず平将門の説明を簡潔に…

「平将門は9世紀の終わり頃若しくは10世紀の初めに生まれたとされる。桓武平氏という由緒正しき家柄。叔父との確執が原因で対立(諸説があるが、有力なのは領土問題)。将門は争いの最中で国司(地方官)を敵に回してしまい、朝廷の怒りを買ってしまう。朝廷は軍を差し向け将門を討伐する事に。これが俗に言う“平将門の乱”」
- 将門の最後
将門は関東を手中に収め、将門自身も非常な戦上手だったが、やはり数の上では官軍が勝り、じりじり押され続け、最後は矢が額に当たり、戦死。
将門はその後平安京で晒し首に😰
飛んだ首
だが、不思議なことに将門の首が一向に腐る事もなく、目を見開き、歯軋りしているような形相であった。こわーーー!!
そして将門の首が突然喋り出した。
「体は何処だ…? もう一戦してやる」
ある夜に将門の首は関東目掛けて飛んで行った‼️
ビューン!!!!!
だが、途中で力付き落下したという。
この落下した場所にも諸説あるが、特に有名なのが東京千代田区大手町にある首塚である。
平将門の首塚
この平将門の首塚では奇怪な事が多々起こっている。
東京大震災の後にこの地に大蔵省の仮庁舎を建てようとした時には関係者が謎の死を遂げる。
また、第二次世界大戦の後にGHQが取り壊そうとしたらブルドーザーが横転して、運転手が事故で死んでしまう。
恐ろしい😱😱
この様に不可解かつ、恐ろしい出来事が起こるから、将門塚は恐れられ、首塚の周辺だけはそのままにしてあるのです。
現代でも怨念が篭っていますね…😨
でも、将門塚は非常にパワーがある場所としても知られていて、かの天下人「徳川家康」もこの首塚をとても大事にしたそうです。
将門が持つパワー、恐るべし‼️