
三国が覇権を競った三国志の時代。
其々のイメージとしては、
“能力”の魏、“人望”の蜀
呉は江東の“家”
という印象があります。
今回は「呉」の歴代大都督(軍の総司令官)をまとめました。
(あくまで正史準拠です)
周瑜
まず「周瑜」
呉の初代皇帝孫権の兄孫策の代から仕えた名臣です。
孫策の江東平定で功績を挙げ、孫策死後は孫権に仕え、曹操を赤壁で打ち破る。
美周郎と評される美形かつ知略に優れていた。
欠点らしい欠点がなく、非常に優秀な人物だったのだが短命だった。
享年35
魯粛
周瑜の後を継いで大都督になったのが
「魯粛」。
この人、賢いのは確かなのだが、結構凄い事を提言している。
「漢帝国は復興無理。劉備と共に曹操に対抗する。その後主君は王になると良い」大胆かつ、先進的な天下二分の計を画策。
赤壁に於いても降伏派が多数の中、周瑜と共に交戦を主張して呉を勝利に導いた人物。
その後、荊州についての領土問題に対して関羽と舌戦を繰り広げ、荊州の一部を返還する事に成功する。
217年に没する。享年46
演義においては若干地味。
呂蒙
魯粛の死後に継いだのが「呂蒙」という人物。
元々は「呉下の阿蒙」と言われる脳筋な人物であったが、書物を読み、勉学に励み、知勇兼備の名将になる。
(周瑜や魯粛の戦略を間近で見ていたのも大きいと思う)
樊城を攻めている関羽を背後から攻め、荊州を奪還する。
(凄い功績だけど、これには賛否あって、関羽を殺した事により、三国のパワーバランスが崩れ去ったとも)
その後間も無く病死する(一説には毒死とも)
(文武に優れた名将だけど、“大局”を見る目は少し足りなかったかもね。
享年42
陸遜
此処まで、有能な人物揃いの呉の大都督である。
四人目の
「陸遜」この人も凄い。
関羽を討ち取った結果、劉備の怒りの矛先は呉に向かった。
劉備は荊州奪還と仇討ちの為に軍を起こして、呉と戦う。
赤壁に次ぐ呉の存亡を賭けた戦いであった。それに対して陸遜は劉備を夷陵の地で打ち破る。(THE・蜀キラー感がある)
魏を相手にも勝利(石亭の戦い)。丞相として孫呉の政治も担う。
だが、孫権がまさかまさかの老害と化してしまい、二宮の変が起こり陸遜は憤り死んでしまう。正に憤死。享年63