
シリアルキラー「ジョン・ゲイシー」について綴っていきます。
(一部暴力的な表現あり)
生い立ち
1942年、ジョン・ゲイシーはシカゴで生まれ、幼少期から父親からは「間抜け」「オカマヤロウ」と謗られ、虐待を受ける日々を送っていた。
(あっ…)
快感
20歳になったゲイシーは父親と喧嘩別れをして、葬儀屋で働くようになり、そこで見る死体、特に少年の物にえも言われぬ感覚を見出していた。
後にゲイシー自身が、
「死体置場に住んでいた」
と証言している。
その後シカゴに帰った後は専門学校、大手靴販売店のセールス、ケンタッキーフライドチキンの経営などを転々としていたが何れも好調な物であった。
笑顔の裏の狂気
ゲイシーは気立ての優しい性格で、休みの日には「ピエロの仮装」をして子供達を喜ばせるなど親しまれ、パーティでは度々気に入った少年を家に招待する程であった…
(^◇^;)
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- 事件発覚
それから月日は流れた1978年、一人の警備補がゲイシーの家の内部の異様さに気付いた。
「ゲイ向けのポルノの数々」「バ◯ブレーター」「家全体から劈くような異臭」
エトセトラエトセトラ…💦
その頃からゲイシーには“妙な噂”が絶えなかったのだ。
こうして家は強制捜査を受け____________
家の床下から石灰で覆われた29人の少年の遺体が発見された。
こうしてゲイシーの犯行が発覚した。
殺人ピエロ
ゲイシーはその他に4人を殺害し、川に捨てた事が明らかになった。(判明している被害者は33人だが、他にもいた可能性は否めない)
被害者は9歳から20歳までの青少年で、ゲイシーは彼らを地下室に連れ込み「無理矢理行為に及んだ後」に絞殺。
(ロザリオにボールペンを入れてジワジワと閉めて殺した事もあったとか…)
1980年、ゲイシーは公判では、20回以上の「死刑(或いは終身刑)」を判決をされたが「多重人格」を主張したり、蓄えていた遺産を利用して刑を免れていたが(挙句冤罪まで主張)、文通をしていた18歳の少年を面会室に飛び出し、監視カメラの死角で「犯行」に及ぼうとした事を通りかかった看守が間一髪で止めた事から再審請求は取り下げられた。(当たり前だ💦)
1994年5月10日、薬物注射によって死刑執行。(7分程度で静かに絶命する筈が何故かゲイシーは20分近く苦しんでから絶命した)
担当検事は「被害者が受けた苦痛に比べれば、ゲイシーの苦痛など大したことない」と述べた。(そりゃそうだ)
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アメリカ史上最悪のシリアルキラーと評される事も多い男ジョン・ゲイシー。ピエロ=怖いというイメージを植え付けたといっても過言ではない😅
尤も幼少期からの虐待によって歪んでしまったと言う事もあるだろうが、ここまで来ると…「オカマヤロウ」と父親から罵倒されたのは育った環境や生い立ちとか関係なく、生まれつきの「クレイジー野郎」だったのでは^^;