
敵に四方を囲まれ、孤立無援の状態
そんな四字熟語が「四面楚歌」です。
その成り立ちを簡潔に綴ります。
覇王の最後
時は紀元前202年、二人の英雄が天下を争っていた。
西楚の覇王「項羽」と、後に漢帝国を築く「劉邦」であった。
項羽はその“武”を持って勝ち続けた。
だが、勝てば勝つほど、離れていく人心。
劉邦は逃げながらも、常に味方を従え、彭越、韓信といった名将を遣い、項羽を包囲した。
項羽と韓信。双方、当代きっての名将であった。
だが、数で劣る項羽は韓信に押され、城に籠もった。
故郷の歌
四方は敵に囲まれ、何処からか歌が聞こえた。
それは項羽、そして楚兵達が、幼い時から聞いていた、故郷の歌であった。
故郷を思い、さめざめと涙を流す楚兵。
項羽自身も胸を打ちひしがれる想いであった。
「…」
この人として、強すぎる者は慟哭することも無く、聴き入り、ただ呟いた_____
「こんなにも、楚兵は敵に寝返ったのか」
孤立無援で、敵に囲まれた状況
「四面楚歌」の成語は生まれた。
_四面楚歌は張良の策とも、韓信の策とも云われる。(諸説🐜)いずれにしても絶望的な状況であった。
項羽は歌を歌った。それは悲痛な物であった。
そして、項羽は漢軍に最後の戦いを挑み、散ったのである。
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