【故事成語】背水の陣の成り立ちと意味【戦術】

絶体絶命!

くそッ!

「背水の陣だ‼︎」

今回は故事成語「背水の陣」

成り立ちを紹介します!

趙の平定

むかし、むかしのお話。 

中国で秦の始皇帝が亡くなった後に項羽と劉邦という二人の英傑が中華の覇権を争っていました。

劉邦は部下の韓信に命じます。

「敵である趙国を制圧せよ」

しかし、趙軍は20万に対して、韓信が率いる戦力は3万ほど。

そんな圧倒的不利な状況の中、後の世に漢の三傑と称される名将「韓信」が採った戦術、それは敵は愚か味方さえも驚愕とさせるものでした。

李左車の策

これほどの戦力差がある場合、正統法ではまず勝ち目はありません。

「策を用いて勝利する」

韓信は自身の戦術の才を遺憾無く発揮出来る絶好の機会だと思いました。

しかし、それを先読みした男がいました。趙の名将李牧の孫「李左車」です。

「念には念を」

「兵を二つに分け、韓信の軍が整う前に挟撃をする」という策を趙王に勧めるも、宰相陳余はそれを否定。

「そんな小賢しい真似をしていたら世間の笑い者だ。あんな小勢など正々堂々と戦い、勝利するまでよ

それを聞いた李左車は溜め息を吐き、小声で呟いた

「敵を侮った軍はいずれ滅ぶ」…

背水の陣

韓信は趙と対峙する為に布陣をしました。

川を背にして

これは兵法でも、悪手だとされている事でした。

それを見た趙の軍勢はどっと笑い、韓信を罵り、趙軍は一気に攻め掛かった❗️

「韓信という男は兵法の初歩も知らない🤣」

絶体絶命!前方には趙の軍勢、後方には川

韓信は号令をかけ、兵を奮い立たせました。

「兵たちよ後ろを見よ、諸君らの背には川が流れている。 さぁどちらか選べ

溺れて死ぬか、敵を討つか

それを聞いた兵たちは覚悟を決め、趙軍と戦いました。

「あえて絶体絶命の状況にさせて必死に戦わせる」

そう、これが

「背水の陣」

名将 韓信

趙軍はほぼ全軍を投入したせいで、城の守りが手薄になってしまった。

全ては韓信の読み通り。

韓信は別働隊で城を攻め落とし、挟撃をして趙軍を打ち破りました。

こうして韓信は国士無双という異名を世に響かせました。

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