
今回は「南禅寺の泣き婆さん」という寓話を綴っていきます。
泣いてばかりいる婆さん
むかしむかし、
京都の南禅寺の門前に、”泣き婆さん“と呼ばれるお婆さんがいました。
雨が降ったら泣き、天気が良ければ泣く。いつも泣いてばかり。
南禅寺の和尚が尋ねました。
「婆さん、お前さんはいつもなぜ泣いているのだ?」
婆さんはこう言いました。
「私には息子が二人おります。一人は雪駄屋、もう一人は傘屋を営んでおります。
良い天気の日には、傘屋は売れません。
雨の日には、雪駄屋は売れません。
これでは、息子が困っているだろう。そう思うと涙が出てしまうのです😭」
和尚は婆さんの話を頷きながら聞いてから、口を開きました。
「成程。確かにもっともな考えじゃ。だが、見方が下手じゃ。ワシが一ついい方法を教えよう」
「是非、教えてください」
和尚は言いました。
「世の中は幸福と、不幸ばかりが続くものではない。それは交互にやってくるのじゃ。禍福は糾える縄の如しというじゃろう。
お前さんはいつも“不幸せ”な方ばかり考えて、“幸せ”を考えとらん。
天気が良い日には雪駄屋は売れる
雨に降る日には傘屋は売れる。
どうじゃ、晴れも良し、雨も良し。そうじゃろう」
(成程 そういう見方があるのか)
それ以降、婆さんは泣くのをやめて楽しく暮らしたのでした。めでたしめでたし。
見方によって「良い」「悪い」は変わる
見方によって良いことも、悪いことも変わります。
誰かにとって「良い」は、誰かの「悪い」
火事や地震で“困る人”もいれば、“儲かる人”もいる。
そう考えれば、「良と悪」
本当は同じような存在なのかもしれませんね。
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