【怪事件】死刑囚が蘇った?!「石鐵県死刑囚蘇生事件」

死刑囚が蘇生した?!

奇妙な事件「石鐵県死刑囚蘇生事件」のご紹介!

事の発端

明治時代初期の1871年。

神仏分離令により、「祠」が「淫らな(異端的な意味)」として廃絶する政策が実施された。

これに住民らは反発、一揆が起きた。

この一揆は大規模な物ではなく、死傷者が出るようなこともなかったが、「放火」を行った二人の人物は死刑判決がなされた。

死刑執行と蘇生

これまでの死刑は「斬首」が主であったが、法律によって「絞首刑」に置き換えられた。

(だが、現代と比べて欠陥も多く、確実に死に至るとは限らない)

1972年11月28日に放火を行った田中藤作(当時31歳)は「絞首刑」によって死刑が執行された。

遺体は家族が引き取った。

  • 死者蘇生

棺を持って家に帰るときに、棺から呻き声が聞こえた。
なんと、藤作は生き返ったのだ!(というか生きていた?)

その後

(死者が蘇生した…?!)

遺族や村人は藤作を「どうすればいいのか」判断に困った。

政府からは「スデニ絞罪処刑後蘇生ス、マタ論ズベキナシ。直チニ本本籍ニ編入スベシ」

「既に死刑執行は行われたのだから再び行う必要はない。よって、戸籍を回復させよ」として、藤作は元の生活に戻った。

その後藤作は「26年間生きた」、「4年後に死亡した」など様々は話があるが、「後遺症」によっての弊害からか質素で孤独な暮らしを送ったという。

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