日本史史上「最も成り上がった男」
太閤
「豊臣秀吉」
豪華絢爛な城を建て、美女と戯れ、その名声は天下に響きました。
しかし、秀吉は決して心の渇きは、満たせなかったのです。
”持てば、持つほど“渇いていった心…
今回は秀吉の暗い晩年の一部を紹介します
家族の死
秀吉という人間は決してご存知のように家柄が良くありませんでした。それ故に、家族が少なく、また凄く大事にしました。
しかし、天下を統一した僅か翌年に大事な、大事な弟秀長、そして息子である鶴松を亡くしてしまいます。
「何故じゃ…何故皆ワシを置いていってしまう…」
圧倒的な喪失感。秀吉は泣き喚いた事でしょう。
そして、流した涙の渇きを埋めるように…
朝鮮出兵
「朝鮮出兵」
秀吉は天下を統一した後に朝鮮半島に十万以上の兵を動員して、朝鮮半島を取ろうとしました。(明まで征服するつもりで有ったらしい)
日本という土地だけでは決して満足出来なかったのでしょう。
双方合わせて数十万という人間が犠牲になりました…。
秀吉の死によって、朝鮮出兵は断念します
養子秀次の粛清
秀吉には、長い間実子がおらず、養子である秀次に継がせるつもりでした。それ故に嫡男鶴松を亡くした時には悲観に暮れてしまう。
そんな折、なんとか実子である秀頼が生まれた!
秀吉は溺愛しました。激しすぎるほどに。
そうなってくると、“養子である秀次”の立場は揺らぎ、、また秀吉自身も秀次の事がいつしか、“邪魔”な存在になっていきました…。
最早、お互い眼を合わせる事すら出来ませんでした。
あんなに側にいたのに…。まるで嘘みたい…
そして最後は、処刑を言い渡されます。諸説🐜。(一説によると秀次は秀吉に謀反をしようとも)
秀次は妻子共々、全員処刑されました。
最後
秀吉は花見を開き幼き秀頼、淀殿、北政所、臣下達と共に愉しみました。
ワイワイガヤガヤと騒ぎ、楽しむ臣下と女中達。まるで、この世が永遠で或る様に、さえ思えた___
秀吉は
散っていく桜を見ながら、ふと、思いを馳せました、
自分の人生を_____
その矢先。 ゴホッ、ゴホッ❗️ 秀吉は咽せました。
「殿下、大丈夫ですか?!」
臣下達、そして幼き秀頼が心配そうに秀吉の側に寄ります
飲んでいた盃には血がついていました。
「まだ、死ぬ訳には…なぁ、秀頼よぉ、秀頼よぉ」
秀吉が子供の様に泣きじゃくり、秀頼の事を抱き締めた事でしょう…
この花見の半年後に秀吉は亡くなります。
夢のまた夢
秀吉の体は日を増すごとに弱り、愈々自分の死期を悟ります、。秀吉は五大老にまだ幼い秀頼を補佐してくれる様に、頼みます。
その有様は最早懇願と言ってもいい。そして最も頼りにしたのは___家康でした。
豊臣秀吉 享年62
辞世の句
露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢
母ちゃん…秀長…信長様…
なぁ、この世に生まれ堕ちて、行けるところまで行ったよ。
…
やけど、人生とは なんて儚いものかな。
まるで夢を見ておる様だ