【日本史ミステリー】松尾芭蕉は忍者?!服部半蔵説についても【信じるか 信じないかは_】

今回は日本史ミステリー

「松尾芭蕉=忍者説」について紹介します!

松尾芭蕉と忍者

松尾芭蕉は日本史上もっとも有名な俳諧師!

俳句の一部をご紹介

古池や 蛙飛びこむ 水の音

夏草や 兵どもが 夢の跡

秋深き 隣は何を する人ぞ

旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る

うーーーーん!!

美しい♡

日本を代表する偉人です!そんな松尾芭蕉が書き残した「おくのほそ道」は紀行文学の傑作と評されています。

松尾芭蕉はなんと一日に数十キロを歩いたと言います。

旅に出た時の年齢は46歳。

うん。滅茶苦茶足腰が強い。しかも、この時代の“46歳”はお爺ちゃんのはず。

一体どこにそんな体力が?!

その秘密は______
 

 

 

 

松尾芭蕉は忍者だったから

松尾芭蕉 忍者説

皆さんお馴染み忍者。影分身。螺旋丸は使わない方。

忍者といえば主君の為に”影“として尽くす精鋭達。

もし、松尾芭蕉が忍者であれば色々と合点がいくのです!

  • 出身地

まず、松尾芭蕉の出身地は「伊賀」

伊賀は言わずと知れた「伊賀流」発祥地。

まさかっ…?!

  • 異様な足腰の強さ

前述した様に、松尾芭蕉が旅に出たのは46歳の時。5ヶ月の間に2400キロ歩いたとされます。

なんという健脚!!

これは忍者と疑われてもしょうがない😝

  • 資金と通行手形

この当時旅をするには相当な資金と、関所を通る為の“通行手形”が必要でした。

松尾芭蕉は色々な所に旅に出ているのです。

一体その資源と“資格”は一体何故…。

これが「幕府の関係者」ならば合点が行きます。

服部半蔵説

松尾芭蕉は服部半蔵であったという説もあります。

家康の懐刀であった服部半蔵は家康の天下統一の後に「自分を自由にしてほしい」と言ったそうです。

そして半蔵は名を改めて“松尾芭蕉”になったという説。

しかし、半蔵は記録の上では1597年に病没している。

松尾芭蕉とかごめかごめ

松尾芭蕉にはある都市伝説がもう一つあります。其れは松尾芭蕉が童謡「かごめかごめ」を広めた。

かごめかごめには諸説ありますが、一説には

徳川埋蔵金の在り処を示すヒントだとされています。

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                    信

                    じ

                    る

                    か

             信

             じ

             な

             い

             か

             は

 

 

 

  

 

  

 

 

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