えっ!!
悲劇の英雄源義経はチンギスハンだった!?
トンデモ説!?をまとめました
それぞれの生き方
まず最初に源義経とチンギスハン の生き様を超くだいて紹介します。
- 源義経
源義朝の九男として生まれ、兄頼朝を助け平家を滅ぼし鎌倉幕府の礎を築いた。
最後は兄に疎まれ衣川の戦いで自害。
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- チンギスハン
エスゲイの長男として生まれ、諸民族を統一し、各地に侵略。大帝国モンゴル帝国の基盤を築く
こんな所である。
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年表
次に二人の年表をおおまかに見てみよう
義経
1159年生誕
1180年 頼朝と対面(22)
1184年 壇ノ浦で平家を滅ぼす(26)
1189年 衣川の戦いで自害(31)
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チンギスハン
テムジン(チンギスハン )生誕 生年諸説あり(1152.1162.1165年)
(前半生は不明な所が多いので割愛)
そもそもチンギスハンは生年すらも分からない。
衣川の戦い(1189年)の後に蝦夷から大陸に渡れば、チンギスハンが記録に現れた頃に合致する
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記録
シーボルトが最初に唱えたのが説の始まりである。
その後吉雄忠次郎、グリフィス、末松謙澄などが支持した。
水戸光圀「大日本史」では義経の首は偽物である、蝦夷に渡ったとの記録がある。
実際どうなの?
はっきり言って…
可能性は少ない
しかし、首は偽物で蝦夷に渡った可能性は高い。
確かに、源義経が生きていてモンゴルに渡り、大帝国を築いたっていうのはロマンが凄い。
真相はいつか判明するのでしょうか…?
楽しみですね!
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