
未解決事件「グリコ・森永事件」について綴っていきます。
事件の概要
1984年、1985年に起きた脅迫、誘拐事件。
事件の経緯
犯人は1984年3月18日にグリコの社長を誘拐して、身代金を要求した。
この額がとんでもない。現金10億と金塊100キロ!(どっちか片方にしろw) 社長は自力で脱出。
その後、犯人はターゲットをさらに範囲を広め、森永製菓、ハウス食品、マルタ食品など錚々たる食品メーカーに脅迫。犯人は「かい人21面相」を名乗り、「世間に対して挑発的」な言動が目立った。
ただ、この「かい人21面相」は不可解な点も多く、途中で「こども なかせたら わしらも こまる 江崎グリコ ゆるしたる」と言ってグリコに対しての脅迫をやめている。
- きつね目の男
1984年6月22日にマルタ食品を「グリコと同じ目にあいたくなかったら一億円よこせ」といって脅迫。犯人は指定の場所にポストンバッグを投げ落とせ指示した。(何故か子供の声の録音もあった)
また、この際に不審な男を刑事は発見した。これが「キツネ目の男」だ
余りにも不可解
だが、刑事はこのキツネ目の男を見失い、その後も犯人グループからの脅迫は続いた。
スーパーやコンビニに置かれていた森永製菓のお菓子に「どくいり きけん たべたら しぬで かい人21面相」などと注意喚起を促すようなメッセージまで貼るなど不可解な点も目立つ。
この「かい人21面相」からの脅迫は1985年まで続いたが、突然終息。
- 何故?
この事件を担当していた県警部長が”事件を解決できない“責任を感じ(或いは負わされた)、「投身自殺」をした。
…
この報を受けた五日後犯人グループからメッセージが届いた。
「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」
昭和を代表する事件
この「グリコ・森永事件」は日本史上最も有名な未解決事件と言ってもいい。
操作に関わったのは130万人以上とも言われるが、現在でも犯人は分かってはいない。
塩田武土「罪の声」などこの事件を題材にした物も多い。