【未解決事件】ディアトロフ峠事件の謎について

今回は謎多き事件

「ディアトロフ峠事件」について綴っていきます。

謎の死を遂げた9人

1959年2月2日ソ連(現ロシア)領ウラル山脈で9人の男女が謎の不審死を遂げた。

遺体はどれも、凄惨な物であった。

一体なぜ…?

事件の経緯

1959年1月25日、男女計10人がオトルテン山を目指して登山をしていた。この山、とても道は険しく、危険であったという。

「私は途中で降りるわ」と、言って途中で一人が降りた。(結果的にこの人は助かった)

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2月1日

「今日はここで休もう」

オトルテン山に続く渓谷に差し掛かっていたが、外はものすごい吹雪で行き先も定かではなかった。

これが最後の記録であった

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2月20日

「おかしい、連絡がないぞ」

不審に思った親族達が救援要請を依頼した。

遺体発見

2月26日

捜索隊が破損したテントを発見。

次いで、

五人の遺体を発見。

ギャアアアアアアアアアッ‼︎

テントは内側から切り裂かれ、何故か遺体は薄着であった。

その2ヶ月後、残りの四人の遺体を発見。

その中の三人の遺体が特に損傷が酷く、「交通事故にあったようだ」と記されている。(眼球や舌がない者もいた)

計九人の男女が謎の不審死を遂げた。

この事件はリーダーの名前からとって、

「ディアトロフ峠事件」と呼ばれる。

一体なぜ…?

まず、この「ディアトロフ峠事件」

今尚「事故」なのか、「事件」なのか、全く分からない。

事件発覚が遅れた事で、証拠となるものが無くなった事も原因の一つとされる。

それ故様々な説が取り沙汰される。

諸説

  • 自然災害説

まず、ソ連が出した報告では、

「抗いがたい自然の力」その後ロシアの報告では、「雪崩による事故」となっており、

「自然現象による“事故”」と断定している。

実際「押し寄せてきた雪崩がテントを潰し、メンバーが内側からテントを切り裂き、逃げたが、途中で衣服を失ってしまった」と考えれば合点がいく。

だが、この説にも反論がある。

「雪崩に押し潰されただけでは、舌や眼球が何故無くなったのかは説明がつかない」

「遺体から放射能が検出されたり、外傷がない遺体もいる。不自然」という物。

可能性としては一番「雪崩説」が高いが、不可解な点は多い。

  • 先住民に襲われた?

「この地方に住む先住民『マンシ族』に襲われた」という説。

だが、それらしき足跡もなく、戦った痕跡などもないことから可能性は低い。

  • 仲間割れ説

こういうのによくある「仲間割れ説」

だが、いくら何でも眼球を取るなんて事するのだろうか…おそロシア…。

  • 放射能説

「放射能による被曝説」

「ソ連が何らかの秘密兵器を使った事による影響」といういかにも、ソ連っぽいダークな説。

実際放射能も検出されている為、可能性はある。

  • その他

他にも「雪男に襲われた」「宇宙人による仕業」など沢山の仮説がある。

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現在でもディアトロフ峠で何があったのかは分かってはない。

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