
未解決、冤罪事件である「甲山事件」について綴っていきます。
事件の概要
1974年3月兵庫県西宮にあった知的障害者施設「甲山学園」で園児二人の溺死体が見つかった。
- 事件の経緯
3月17日に女児(12歳)が行方不明になる。3月19日に男児が行方不明になる。
同日、学園の浄化槽から二人の遺体発見。
- 遺体の状況
女児は3月17日に死亡、男児は食事をした2、3時間後に死亡していることが判明。
冤罪事件として
当初は「園児が浄化槽近くで遊んでいたことによる事故死」とする意見も強かったが、マンホールの蓋が閉じられていた(重さ17キロ)から、園児の力では不可能だとして、「大人による殺人事件」として捜査を進めた。
甲山学園は外部侵入が見当たらなかったことから、警察は内部による犯行だと絞り、唯一アリバイがなかった保育士の山田保母を疑った。
翌月、彼女は逮捕され、1978年には「殺人罪」の犯人として起訴された。
まず、初めに言っておきたい。
この山田保母は無実であり、この事件は冤罪だということを。
その後も警察は保母を厳しい取り調べで追い詰め、幾度も起訴を繰り返したが、1998年に「無罪が確定した」
…25年という長い月日が経っていた。
- 事件の真相
「無実の人間が冤罪の濡れ衣を着せられた」痛ましい事件ではあるが、結局の所この事件が「事故死」なのか「殺人」なのかはハッキリとは分かってはいない。