
今回は「青ゲットの殺人事件」についての綴っていきます。
謎の青ゲットの男
1906年2月12日に事件は起きた。場所は福井県坂井郡三国町(現坂井市)
吹雪の夜であった
午後5時ごろ青いゲット(毛布)を被った男が問屋を訪ねた。
「近所の叔母さんが危篤だ。来てくれ。」
番頭の村吉は人の良い男であった。青ゲットの男を信じて付いて行った。
これが村吉の最後の姿であった。
そして同様の手口で村吉の母と妻を連れ出した。(村吉の次女も連れ出そうとしたが、子守りを頼んでおいた隣家の女性に拒否され難を逃れた)
遺体の発見
三人はいつまで経っても帰ってこなかった。
翌朝、三国町と新保村を繋ぐ新保橋で村吉の母と妻は変わり果てた姿で発見された。
夥しい血で周囲の雪は真っ赤に染まっていた。
消えた村吉
不思議なことに、村吉の遺体だけはいくら探しても発見出来なかった。
(村吉犯人説が取り沙汰された事もあった)
だが、血痕が余りに多いため、村吉も殺害され、遺棄されたと言う判断になった。
真犯人??
犯人に繋がる手掛かりも得られず、1921年に時効を迎える。…そして事件から20年が経った1926年に京都府警に窃盗の罪で逮捕された谷本仁三郎という男がこの事件の真犯人だと自首した。
一気に解決!
かと思いきやそうではなかった。
谷本の証言にはあやふやな所が目立ち、真犯人とは考えにくかった。
資料も散逸していた為、現在でも真相は分からずじまい。
…個人的に村吉の遺体が発見されない点だけが異様に気掛かり。(意外と…)
動機としては怨恨の可能性が高いが、村吉は誰からも好かれる男であったので、恨んでいる者も見つからなかった。(…嫉妬?)
この事件、いかんせん時代が古い故に真犯人は間違いなく死んでいる。その為真相が判明することはないだろう。
また、この事件は、赤マントという都市伝説の発端ともされている。