
群雄が割拠する「戦国時代」
当時は“女性”が戦場に出る事はなかったため、その代わり(意味深)として”小姓“と呼ばれる少年達がいました。
織田信長、上杉謙信、伊達政宗などの英傑達も小姓を愛しました。
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「武田信玄」も
英雄色を好む
武田信玄が溺愛していたのが「春日源五郎」という美少年。これが後の武田四天王の一人、「高坂昌信」
なんと、信玄はこの美少年にこの様な手紙を残している!
おおよそ現代語訳すると、こんな感じ。

・弥七郎(他の小姓)と寝たことはないよ
・お前(源五郎)が一番だよ。嘘じゃないよ。もし嘘ついたら山梨と長野の神様から罰を受ける覚悟だよ
信玄必死すぎる((((;゚Д゚)))))))
戦場は逃げ弾正、夜は受け弾正
「英雄色を好む」とはよく言うものだ!圧倒的包容力。そのストライクゾーンの広さからも、信玄公がいかに英雄だったかが窺える。
成長した高坂昌信は”撤退戦“の巧さから、「逃げ弾正」と評されます。
戦場では逃げ弾正、夜は受け弾正。
いや、攻めだったかもしれない
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