
今回は黒人SAMURAI
「弥助」についての紹介です!
異国から
時は戦国時代。
ポルトガルやスペインから宣教師が訪れ、その従者として奴隷も連れてこられていた。
イエズス会のヴァリニャーノが連れて来た黒人奴隷もそのうちの一人であった。
この黒人奴隷は身の丈6尺(182cm以上)にもなる大男で、「牛の様に黒い体」「十人力の剛力」と、当時の日本人からすれば
まさに“怪物”の様な男であった。信長公記にはこの様に記述がある。
黒坊主
信長公記
信長との出会い
1581年
黒人奴隷は織田信長に献上された。
家臣達はこの異様な出で立ちをしている大男を奇怪な顔で見たに違いない。ただ一人、この男に好奇心を持った男がいた。
信長であった。
「お前は全身を墨で塗られたのか?」
信長は子供が新しいオモチャを見つけたが如くその男を興味津々に問いただした。
「よし、試そう。風呂に入れてやれ」
ゴシゴシ…いくら洗っても、墨は取れない。其れどころか…
一層黒く光る!
(なんだこの男は…?!)
信長の好奇心は愈々爆発した!
「実に面白い🤣 ヴァリニーノよ、この男。ワシが貰っていくぞ」
「構いませぬ。煮るなり焼くなり、なんなりと」
こうしてこの黒人奴隷は信長の身近に支えることになり、
名前も与えられた。
「弥助(やすけ)」と______
そして信長は「弥助」を武士として取り立て可愛がった。
何も無かった男が初めて手にした
「名前」と「権利」であった。
とても感激したに違いない。
「ノブ…ナガ…サマ…👨🏿🦲T_T」
こうして弥助は最初の黒人侍になったのだ!
本能寺の変と弥助
翌年1582年6月2日に事件は起きた。
「本能寺の変」だ。
信長の家臣「明智光秀」が信長を裏切り襲撃して来たのだ!
其処には弥助もいた。
「ノブナガサマ、ノブタダサマヲ______
マモルッ!!!!!」
弥助は“恩を返す”為に奮闘した。
が、多勢に無勢。
弥助は明智軍に捕縛され、信長は自害した。
光秀の元に弥助は引き釣り出された。家臣は弥助を如何するのかと尋ねた。
光秀はこう答えた。
「黒人は動物の様な物だ。殺す道理もない」
…この光秀の発言は「差別意識を持っていた」や「情けをかけた」という様な説があるが、実際は“単純に興味がなかった”と思う。
その後の消息
弥助は南禅寺(日本の教会)に送られて一命を取り止めた。
これ以降の弥助の消息は分かっていない。
- その後
初の黒人侍として武勇伝を語り継ぐ余生を過ごしたに違いない。
というか、そうあって欲しい…笑
初の黒人侍として歴史に名を刻んだ「弥助」
その数奇な人生はハリウッド映画にもなるらしい!
是非とも見てみたいですね(≧∇≦)
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