
今回は春秋戦国時代(始皇帝の中華統一まで)の名将達をランキングにしてみました!
国に対しての貢献度、戦績などを考慮してのランキングです!
(皆名将です!差はほとんどないです!)
十二位 万里の長城を築いた一人
「蒙恬」
- 活躍
李信、王賁と共に秦の統一を支える。統一後は匈奴を撃ち破る。最後は趙高の陰謀によって始皇帝の長男扶蘇と共に自害。
匈奴を追いやった際に万里の長城の建設にも携わっています。
始皇帝の統一後にも活躍した珍しい将軍。春秋戦国時代の最後の名将と言っても良いでしょう。
十一位 足が無くても、名将
「孫臏」
孫子の著者の一人と言われる人物です。(諸説あり)
- 活躍
龐涓と共に兵法を学ぶも才能を疎まれ、龐涓に罪を被され、両脚を切断する罰を受ける。
だが、天は孫臏を見捨てなかった。斉の田忌が孫臏を招き、斉王は孫臏を重宝して、兵法の師と仰いだ。
そして、龐涓を桂陵の戦い、馬陵の戦いで打ち破る。(その後の記録は無し)
十位 項羽の祖父

「項燕」
秦の最後の障壁として立ちはだかった名将です。
- 活躍
李信、蒙恬が20万率いて楚に攻め込んできた際に項燕は敢えて進ませ、合流した所を奇襲して打ち破る。その後60万の大群を擁して楚に侵攻した王翦と交戦。項燕は防備の隙を突かれ敗北。
最後は楚王昌平君と共に戦死。楚国は滅亡した。
項羽の祖父で、陳勝・呉広の乱では呉広は項燕を名乗る(反秦の象徴)など、当時でも秦に勝利した数少ない英雄であったことが窺える。
運命とは不思議哉、項燕の孫と王翦の孫は後に戦う。
それはまた別のお話。
九位 国を救った王子
「信陵君」
魏は呉起と迷いましたが、信陵君を選ばせていただきました。
- 活躍
長平の戦いで趙に大勝した秦軍はそのままの勢いで趙の都邯鄲を包囲。信陵君は自ら兵を率いて打ち破る。秦の将軍蒙驁が攻めてきた際には合従軍を率いて之を撃退。最期は王に疎まれ失意の内にこの世を去る。
春秋戦国時代の中でも特に好きな人です(≧∇≦)
八位 秘技!火牛作戦
「田単」
楽毅に蹂躙され、滅亡寸前まで追い込まれた斉を救った名将。
- 活躍
楽毅が斉70城を落とし、斉はボコボコにされた。将軍に任じられた斉の田単は楽毅がいる燕軍には敵わないと悟り、讒言によって楽毅を失脚させた後に、燕と戦う。
その時に用いた戦術が火牛作戦(牛に火をつけ敵軍に突撃させる奇策)❗️
今までのお返しと言わんばかりに燕軍を散々に打ち負かし、田単は燕に奪われた70城の奪還。
楽毅が燕の救国の英雄ならば、
田単は斉の救国の英雄と言えるでしょう。
七位 歴戦の老将軍

秦が恐れた歴戦の名将「廉頗」
- 活躍
戦歴が非常に長く、長平の戦いでは白起ですら廉頗の守りを崩す事は出来ず、解任された後も斉、魏との戦いで戦果を挙げ、生涯現役であった。
史記では藺相如や趙奢、李牧に並ぶ趙の大黒柱と評される。
六位 勇気がある方が勝つ
勇気と知力「趙奢」
元文官でありながら、優れた軍才を発揮した名将です。
- 活躍
秦将胡傷が閼与の地に侵攻した時、之を迎え撃ち、大勝。閼与を救った。斉との戦いでも功績をあげた。
この戦いは非常に道が険しく、廉頗、楽乗ですら、閼与の救出は“不可”と言ったのに対して趙奢は実現したのだから凄い。
五位 秦の初代丞相
秦の初代丞相!
「樗里疾」
- 活躍
前318年の函谷関の戦いで楚・趙・魏・韓・燕五国からなる合従軍を撃退。
その後趙、韓をボコボコにした。
生涯無敗で、「力は任鄙、智は樗里」という諺が作られるほど。
四位 秦を天下に導いた功臣

「王翦」
白起と共に、秦の天下統一に最も貢献したと言っても過言ではないのが王翦将軍です!
- 活躍
鄴を桓騎、楊端和と共に落とし、桓騎を倒した名将李牧を讒言によって退け、趙を滅ぼした後燕、代連合軍を打ち破る。
そして秦にとって最も強大な敵であった「楚」の攻略を李信(項燕に敗退している)の次に任され、蒙武と共に項燕、昌平君を討ち、楚を滅ぼした。
秦王嬴政の他国征服に尽く参加している。
三位 軍神

第三位は燕を救った名将「楽毅」です!
- 活躍
元々は中山国に仕えていた将軍だったが(他にも色々移転している)、燕の昭王の召集に応じて仕官する。
当時燕は大国“斉”に押されている弱小国であった。そんな燕を救ったのが楽毅である。
楽毅は自ら合従軍を率いて斉軍を済西で打ち破る。
その後合従軍が一旦解散するも、楽毅は燕軍単体で斉を攻め、僅か6ヶ月で斉70城を落とす。
楽毅が来るという報告だけで城を明け渡す所もあった程に破竹の勢いであった。
だが、田単の反間の計により失脚。
楽毅のいない燕軍は田単に敗れ、楽毅が落とした斉の七十城は奪還される。
その後燕王は楽毅が恨みを抱き、攻めるのではと懸念したが、楽毅は最後まで忠誠心を示した。
二位 白い悪魔

二位は秦の白い悪魔「白起」
もう、ね、この人は特筆して凄いです。
- 秦のキラーマシン(活躍)
ある程度は割愛して書きます。
韓.魏連合軍を打ち破り、24万の首を取り、魏の61城を落とす。楚に攻め入った際には首都を落とし、趙.魏.韓連合軍を打ち破り、13万人を斬首
長平の戦いでは廉頗と交代した趙活を打ち破り、
趙兵40万を生き埋めにする(或いは戦死)
最期は王に命じられ、自害
(当時の中国の人口めっちゃ減らしてそう)
一位 趙の守護神

堂々の第一位は守戦の名将
「李牧」
北方民族で強力な騎馬兵を持つ「匈奴」の大軍を打ち破った後に、趙王に召集され秦と戦う。
- 活躍 趙の守護神
先ず扈輒を討ち取った桓騎を打ち破り、その後攻めてきた秦兵十万以上を討ち取る。
秦は返り討ちどころか李牧に領土の一部を奪い返されてしまう。
その後、王翦、楊端和、羌瘣の大軍を相手に司馬尚と共に応戦。秦は討ち破る所か、苦戦する。
最早謀略によってでしか李牧を倒す事は出来なかった。
秦は佞臣郭開に賄賂を送り、李牧は讒言によって処刑されてしまう。
その僅か3ヶ月後に趙は滅びる。
史実において一度の敗北もしたことが無く、指揮官としての実力は超一流。
悲劇の名将として名を刻まれる李牧を一位とさせて頂きました。