【落語】「粗忽長屋」【もう一人の自分】

落語の演題の一つ「粗忽長屋」をご紹介!

あらすじ

粗忽者(おちょっこちょい)ばかり住む、粗忽長屋の住民、八五郎が浅草寺に行ってきた帰りの事です。辺りに人集りが出来ていました。

「どうしたんだい」

「いや、なんでも人が倒れたらしい」

「それは、何とも」

八五郎は見に行くことに。そこには身元不明の死体がありました。

「可哀想に…ん?んん??」

よく見ると、その男は同じ長屋に住む熊五郎ではありませんか!八五郎は遺体を持っている男に云いました。
「その男は一緒に住んでいる男だ。そう言えば、今日具合が悪いと言っていた。誼みがある、どうか亡骸を譲ってくれ」

「いや、それは出来ない。抑この男は昨日倒れたんだ」

「ええいっ、うるさい。それならば熊五郎を連れてくる!それで分かるはずだ!」

そう言って、長屋に向かってズカズカと歩いていきました。

「熊五郎!来い!浅草寺の近くでお前の遺体があった!」

「おいおい、なにを言っているんだ、この通り元気だぞ」

「お前は粗忽者だから自分が死んだ事に気付いちゃいないのだ。いいから来い」

そう言って熊五郎を連れていきました。

 

遺体を見た熊五郎はビックリ仰天!!

「あ、あれは____

 

 

俺だ!」

「ほら、言った通りだろう」

遺体を泣きながら抱きしめる熊五郎を見て、周囲のものは呆れます。

役人たちが止めに入るも、熊五郎は聞く耳を持ちません。

「これは俺だ!抱かれているのは俺だ!」

喚き散らす始末。…しかし、熊五郎はある疑問がありました。

(抱かれているのが俺なら、抱いている俺は一体誰だろう)

感想

「自分の遺体を抱いて自分自身を見失う」

立川談志師匠はこの噺を、「主観性があまりに強すぎたから、自分自身が死んだのか判断出来なかった」と評しています。

最後のセリフは非常に滑稽ですが、どこか哲学的な意味合いも含んでいると思います🤔

色々な解釈があるのが落語の魅力の一つですね!

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