【記録を抹消された皇帝】ドミティアヌス帝暗殺事件【歴史】

今回は消された皇帝「ドミティアヌス帝」について綴っていきます。

優秀な兄と、、弟

ドミティアヌスの兄ティトゥス(10代皇帝)は僅か二年の在位期間であったが、皇帝としての評価は高く

後の「五賢帝の模範」とされた。其れを常に横目で見ていたのが弟ドミティアヌス。

後世この二人はこう評される。

“善良な兄”と“悪辣な弟‘

兄の死

兄ティトゥスは病に伏した。(一説にはドミティアヌスが毒を持ったとも)

(きたかっ…)ドミティアヌスは即座に行動。帝位を掻っ攫った。

(俺は、兄以上の名君になる)

きっとそう思ったに違いない。

程なく兄ティトゥスは死んだ。こうしてドミティアヌスは皇帝になった。

皇帝ドミティアヌス

「ローマと平和と安寧の時代を俺が作る!」

先ず皇帝ドミティアヌスは国境に防衛線である「リメス」を建設した。そしてローマの法を徹底した。

厳しすぎる程に______

同性愛者や不正行為を厳しく弾圧。

謂わばドミティアヌスは独裁者であった。

元老院にも嫌われ______
暗殺を計画される。

五賢帝の踏み台として…

ドミティアヌス暗殺の計画者の一人に次の皇帝にして最初の五賢帝「ネルヴァ」がいた説がある。(ネルヴァとは若い頃はアッー♂な関係であったとされる)

ドミティアヌスは自邸で寛いでいる所を暗殺された。

「俺が死んだら、ローマはどうなるのだ」

ドミティアヌスはカリグラ、ネロと並ぶ元老院から「記録を抹消された」皇帝。

ドミティアヌスと兄ティトゥスはネルヴァから続くローマの繁栄と平和の時代、「五賢帝」から“善き例と悪しき例”として烙印を押された。

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五賢帝の“踏み台”として名を残してしまったドミティアヌス。

しかし後の暴君である「ヘリオガバルス」や「ホノリウス」などとは違い、真剣にローマの事を思っていた事は間違いない。

五賢帝の時代にドミティアヌスが建設した防衛線のお陰で平和だった事も確か。

非常に惜しい人物だなと思う。

また元老院による記録の改竄があった可能性も否めない。

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