その男を知らないとすれば“教養がない”と鼻で笑われるだろう
何十億という名で取引され、最も著名な画家と言えば名を挙げられることも多い。
…生前は見向きもされなかった。その男の名は
「フィンセント・ファン・ゴッホ」
生い立ち
- 無限の空虚
ゴッホは牧師の家に生まれ、16歳で叔父が働いている美術商会で勤め始めるも、叔父と気が合わず、転勤を強制させられ、最終的に解雇されている。
恋をするも失恋。尚且つ家族ともうまくいかず、ゴッホはドン底だった。
その時の心境をこの様にゴッホは綴っている
無限の空虚
暗い、空虚な心を埋めるように、光を見出そうとしたのがキリスト教であった。
敬虔な人
ゴッホは朝な夕な聖書を読み漁り、キリスト教の教えを心から信じ自ら聖職者になろうとした。
「Jesus(イエス)の様な生き方がしたい」
勉強を進めるも牧師になるための試験に挫折。
しかしゴッホは諦めなかった。貧民街に赴き、聖書を説いていった。
「俺がなりたい聖職者とは、免罪符を売り金を設ける様な物ではない。 貧しい人と同じ飯を食べ、貧しい人に手を差し伸べる。 其れが聖書の教えではないのか?!」
その姿は嘗て“ガリラヤの畔にいた”人間に似ていた…に違いない。
だが、貧しい人と語り合い、傷を癒しても。
懐が寒い。そして極め付けが…他の伝道師からの冷たい、まるで養豚場の豚を見るような目であった。
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ゴッホは誰にも理解されず、伝道師の道を閉ざされた。
画家として
ゴッホは絶望し、辺りを彷徨き回った。そして残された道は“画家”だけであった。(この時27歳)
日本の浮世絵と新印象派に影響を受けた力強く、鮮明な絵だが、
全く評価がされず、各地を転々としていた。
ゴーギャンとの出会いとひまわり
ゴッホは自分の様な芸術仲間を集めるべく、黄色い家に住む。だが集まったのはゴーギャンという画家だけであった。
この時代に描いた絵画は「ひまわり」「夜のカフェテラス」「ローヌ川の星月夜」などがある



うん、
見たら分かる
すごいやつやん
言葉では表しきれない程、綺麗。
耳切り事件
_して、話をゴッホに戻そう。
ゴッホはゴーギャンとの関係は…あまり良い物ではなかった。
お互いに主張が激しく、手紙で愚痴る始末。
そしてゴーギャンは去ってしまった…
吹っ切れたゴッホはなんと自分の耳を切ってしまう
(ゴーギャンの自伝には剃刀を持って襲ってきたと書いてある)
血塗れの部屋。(最早赤い部屋)

その時の様子の自画像。表情が何とも…。この時のゴッホの心象はあなたの想像力に任せよう。
孤独な戦い
その後ゴッホはアルル市立病院に収容される。
退院後も直ぐに発作を起こし、単独病室に閉じ込められる事もあった。
それ程までに精神的に切羽詰まっていたゴッホ…。
落ち着いた時に、病室で絵を描いた

精神病院の窓から見える「風」
「ひまわり」や「カフェテラスの夜」と比べて、暗く、陰鬱な雰囲気を醸し出している名画。
ゴッホはこの絵を描いている時どんな気持ちだったのだろう…。
最後の日
ゴッホは1890年7月27日にピストルで撃たれている所を発見され、29日に死亡した。
生前売れた絵は一枚、若しくは数枚とも。
何故死んでしまったのか
死因は二発目の銃弾による出血死。
自殺とされているが、他殺説もある。
自殺を前提に、他殺説は割愛させて戴きます。
- 推測
何度か医師に相談して、症状を治そうとしていた。
そして以前の様に、「自分の描きたい物を描きたかった」
たとえ「理解されなくても」「評価されなくても」
ただ「描きたかった」
だけど、心が許してはくれない。葛藤。
これが一番大きいかったのかな。
群衆の喝采
悲しい哉、ゴッホは生前に共感もされず、名声を得ることもなかった。
ゴッホの死後、ゴッホの絵を見た評論家は云った。
「かくも素晴らしい天分に恵まれ、誠に直情と幻視の画家がもはやこの世にいないと思えば、大きな悲しみに襲われる
ゴッホの絵は何十億という値で取引され、芸術界の”巨匠“とまで評された。
その名声は、きっとゴッホがいる所まで…
個人的に
これほど、生前と死後の評価が違う人物は珍しい。
真の天才とは生きている間では分からないのかも知れない。