「その声は、我が友、李徴子ではないか?」
久しぶりの友との再会。
友は虎になっていた…。
教科書で習う事も多い、山月記を要約して綴ります!!
李徴
この作品の登場人物はたった二人、李徴と袁傪。
山月記は文章がとても美しい。
隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。
要約すると「李徴という人は幼い頃からとても頭が良く、科挙という超難関試験にも合格するほどの天才であった。でも傲慢で人の下で働くのを良しとせず、山に篭り詩を作ることに耽った。だけど売れない、遂に発狂。行方不明になった。」
ここで分かる、李徴の為人。才能も、顔も良い。だけどそれ故に性格が曲がってしまう。
詩一本で食おうとして行くところにも、自分の才への驕りが感じられる。
袁傪
そんな李徴の数少ない友人が袁傪だった、袁傪は温和な性格でそれ故に、李徴と気が合った。
(これは個人的な意見だが、李徴は自分より才能がある人間とは付き合わなかった気がする。)
急いでいた袁傪は人食い虎が出るという道を通り、一頭の虎が躍り出た!🐯
アカーーーーーーーーーン!食われる!!
虎は袁傪に襲い掛かる!絶体絶命!と思いきや…。虎は草の茂みに隠れてしまった w🐅
茂みの中で虎は何度か吠えている、どこか物悲しい声…
袁傪は気付く。
「その声は、我が友、李徴子ではないか?」
袁傪、よく気付いたな∑(゚Д゚)!!!!!
尊大な羞恥心と臆病な自尊心
暫く返事もなく、泣くように呻いていた、そして答えた。
「如何にも」
久しぶりの再会であった。
袁傪は恐怖を忘れ、李徴に話しかける。
それは、まるで、かつて、共に学んだ学友の姿であった。
そして…李徴は虎になった経緯と苦悩を語る。
「走っていたら、虎になっていた、気付いた時には、ウサギを食っていた。そして恐ろしい事に人間だった時の記憶が日を増すごとに消えて行く…。」
考えるだけでも身の毛がよだつ…
(傲慢な性格が災いして、天が下した、罰の可能性も…)

本文に出てくる、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」
有名な一文ですね。
臆病な自尊心=プライドを傷つけたく無いが為に、臆病になる。
尊大な羞恥心=プライドが邪魔し、恥ずかしい事をしたく無い。
人を見下し、留まるところを知らない承認欲求。
いつの世も人の心理とは変わらない。悲しい哉。
幾ら悔いても、もう取り戻せない…。
李徴は慟哭し、袁傪もまた涙を流す。
夜も明け、別れの時が来た。
「袁傪よ…、お別れだ、虎に還る時が来たのだ、あの丘に上ったら、此方を振り返ってくれ。」
袁傪は泣く泣く、出発した。
そして丘の上に立って、振り返った。
虎が二、三度、咆哮した。姿はもう見えなかった。
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中島敦“山月記”美しい文章、そして教訓になるエピソード。
短くとても読みやすいので貴方も是非一読を!