【刮目せよ、その死に様】戦国時代 辞世の句、最後の言葉七選【哲学】

人は、自分の人生の最期に何を言うのでしょう。

死の間際の言葉が、その、人間の生き方を表していると思います。

武士の生き様を表す辞世の句、今回はその一部を紹介します

大内義隆

「討つ者も 討たるる者も 諸ともに 如露亦如電 応作如是観」

「裏切る者、裏切られる者ともに儚いものだ」

西国で勢力を誇っていた大内義隆でしたが、部下(陶晴賢)のクーデターにあい自刃します。

裏切った晴賢自身もその四年後に自刃します。

戦国とはなんと無常哉…。

足利義輝

「五月雨は 露か涙か 不如帰(ホトトギス) 我が名をあげよ 雲の上まで」

「この雨は、露か、それとも私の涙か、ホトトギスよ私の名を雲の上まで届けてくれ」

第13代室町幕府将軍「足利義輝」の句です。

剣豪将軍と評され、剣の腕はピカイチでした。

最期は、三好長慶の軍勢に裏切られ、1万の軍勢が押し寄せます。

義輝自身が薙刀を奮い、敵を打ち倒して行きましたが、多勢に無勢。討ち取られてしまいます。

“我が名をあげよ”とある通り、自分の名を後世にまで伝えてくれという意思がひしひしと伝わります。

豊臣秀吉

「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 難波のことは 夢のまた夢」

「露の様な、まるで夢でも見ているような儚い生き方だ」

太閤「豊臣秀吉」

日本史 史上最も成り上がった人物といっても過言ではありません。

豪華絢爛な城、これ以上ない程の地位と権力を手に入れるも、大事な弟を失い、養子の一族を粛清…。跡取り秀頼もまだ幼く、不安を残したまま死んで行きました…。

五大老に秀頼の事を頼む所が、非常に人間らしい。その中でも最も頼りにしたのが家康だった…。

豊臣秀次

「月花を 心のままに 見尽くしぬ 何か浮世に 思い残さん

「月も花も、存分に見た、もうこの世に思い残す事はない」

実子のいない秀吉の元で養子になり、次の関白に任命された秀次でしたが、跡取り秀頼が生まれると次第に邪険にされ、とうとう一族切腹を言い渡されます。

上杉謙信

「四十九年一睡夢、一期栄華一盃酒」

夢と一杯の酒

大の酒好きであった上杉謙信。

戦に酔い、酒に飲む。それだけで謙信は幸せだったのかもしれませんね。

もう一つあります。

「極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし」

「良いことも悪い事も沢山してきた、極楽か地獄、何方に行こうとも、私の心に雲はない」

柴田勝家

「夏の夜の 夢路はかなき 後の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす」

「夏の夜の様な、短く儚い生涯だった、せめて後の世に伝えておくれよ、山ほととぎす」

織田家の筆頭家老であり、もし信長が生きていればそのまま重用されたこと間違いなしの勝家でしたが、時代は秀吉を選んだ。

最後の居城、北ノ庄城でお市の方と共に自刃します。

徳川家康

「先に行く あとに残るも同じこと 連れて行けぬをわかれぞと思う」

「今日死のうが、明日死のうが同じ事、一緒に行けないことだけが残念だ」

江戸幕府を築いた天下人家康

苦労が絶えない生涯でしたが、家臣と共にそれを乗り越えていきました。

その家臣も次々と先に行ってしまい、

残してしまい人もいる。天下人家康は最期に誰を思い浮かべたのでしょうか…

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戦国時代の辞世の句を一部紹介しました!

ここに出ていない他の武将もいつか、書きたいですね!

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