蜀漢初代皇帝「劉備」を支えた五人の名将が
“五虎大将軍”です
五虎大将軍とは、演義の呼称で、正史で五人が同じ伝に記述されているのが由来。
三国志の蜀漢建国の功臣の中でもとりわけ武功が目立つ五人。
そんな英傑達をまとめて簡潔に綴っていきます。(其々正史準拠、下記に大まかな演義の設定)
関羽
五虎大将軍筆頭、軍神「関羽」です
旗揚げ当初から劉備に従い、曹操の元に一時身を寄せ武功を上げ、劉備の元に帰ります。
その後、劉備から荊州を任され、樊城の戦いで魏軍を窮地に追い遣るも呉軍から後ろから攻め込まれ戦死します。
220年没
各国から評価され、恐れられた名将でその武勇、忠義は頗る高く、後世にまで讃えられます。
その反面人格面にはやや傲慢な所があり、それが災難したとも言える。
演義に於いても、その性格は変わらない。
張飛
虎の如き男!「張飛」
劉備、関羽と共に、義兄弟の契りを交わした張飛
長坂、蜀攻略戦などの活躍は目覚しく、漢中攻略戦では、策を用いて魏の名将張郃を返り討ちにしています。
特筆すべきはやはりその武力!関羽と共に万人之敵(一万にも匹敵する強さ)と評され、武略に優れた将軍だった張飛。
ですが、乱暴な所があり部下に対しての対応は厳しかったようで、最期は寝ている所を部下に暗殺されます。
221年没
演義では猛将だが、やや脳筋気味に書かれています。
趙雲
その勇気は一身是胆!「趙雲」
元々は公孫瓚の配下で、派遣で劉備軍に所属。(その後公孫瓚は袁紹によって滅び、劉備に正式に仕える)
その後劉備は曹操に追われ、逃げる時に妻子を置いて来てしまう。趙雲は息子の阿斗(劉禅)を救い出し、その後の蜀攻め、漢中攻略戦でも劉備のために尽力する。
諸葛亮の北伐にも参加。曹真との戦いに敗れてしまうが、大敗には至らなかった。
その翌年(229年)に没する。
蜀の武将の中で最もバランスの取れた将軍と云っても過言ではないのが「趙雲」
北伐期には貴重な人材を失ったのは非常に痛かった。
演義では、武略と忠義に優れた将軍として書かれる。そして、最後の五虎大将軍であった。
黄忠
老将軍「黄忠」
元々は荊州牧「劉表」及び長沙太守の「韓玄」に仕えていた。
劉備が荊州を平定すると、劉備に帰順。
老齢ながらも勇猛な性格で蜀攻略戦、漢中攻略戦でも活躍。
特に漢中攻略戦では夏侯淵を討った功績は見事。
220年没(子が早世していた為、黄家は断絶)
演義では、関羽と一騎討ちを繰り広げ、勇猛果敢な老将として書かれる。
馬超
錦「馬超」
父「馬騰」から軍閥を受け継ぎ、曹操と対立。韓遂と手を組み、潼関の戦いでは曹操を急襲して幾度も脅かすも最終的には敗れてしまいます。
その後張魯の元に身を寄せるも、待遇はあまり良くなかったらしく、劉備に密書を送り帰順。
それを聞いた蜀の劉璋は降伏。劉備は蜀を手に入れた。
劉備に仕え、漢中攻略戦にも従軍するが目立った功績は挙げてはいない。
222年没
演義では「父親の仇討ち」であるが、正史ではそうでもなく、曹操に敗れた後に一族は壊滅する。
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蜀が誇る五人の名将達。
この五人の誰か一人でも欠けていたら、劉備は蜀漢を建国出来なかったかもしれません。
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