個人的歴史上人物 理想郷を作りたかった男「ポルポト」

  • 2020年5月12日
  • 2020年5月23日
  • 歴史

時代は20世期、ある男がカンボジアを支配していた。

________カンボジアは地獄であった。

鳴り響く、銃声と悲鳴。

大地は“知識”を持つ者達の血によって、満たされた。

その男は独裁者と呼ばれた、その名前は

ポルポト

幼少期と決意

裕福な家に生まれた、少年ポルポト(本名はサロトサル。本人はこの名前を認めていなかった。以下ポルポト)は大人しく、優しい子供だった。

その優しさは大人になっても変わらず、別の方向に…。

ポルポトは名門小学、中国とエリートコースを進み、高校は滑り止めであったが、卒業後フランス留学をする。

フランスでは冷たい視線を浴び、コンプレックスもあっただろう。

そんな中ある思想に出会う。それが

「共産主義」であった。

共産主義はマルクス・レーニン等が唱えた政治・経済思想で平たく言えば、「皆平等がモットー」な思想であった。

感銘を受けたポルポトは握り拳を作り、強く思った。

差別のない、皆が平等な世界を作る」と__

  • 帰国後

フランスから帰ってきたポルポトは教師を務め、結婚をした。カンボジアの共産主義グループにも参加、夢の実現の為に交流を深めた。

そして、力を付けたポルポトは「クメール・ルージュ」のリーダーになる。

この頃、ポルポトは毛沢東やスターリンの思想にも感化し始める。(これが結構痛かったかもね…)

カンボジア内戦

  • シハヌークとロンノル将軍

隣国ベトナムはアメリカと戦争の真っ最中であり、カンボジアも困惑も極めていた。

国王シハヌークはベトナム寄りと見做された。

アメリカに目をつけられ、親米派のロンノル将軍を支援して、クーデターを決行させる。

その結果シハヌークは追い出された!

「クメールルージュとは嘗て、敵だったがやむを得ない。」

ポルポトとシハヌークは手を結んだのである。

敵の敵は味方、共通の敵を相手にライバル同士が手を組む。

まるで少年漫画みたいな展開だ!

  • 内戦と揺れる国民

ここに、ポルポト率いるクメールルージュとアメリカの支援を受けたロンノル将軍の内戦が始まる。

だが、ロンノル側はやりすぎた。アメリカからの空爆によってカンボジアは数十万の死者が出てしまい、ロンノルは国民からの恨みと怒りを買ってしまったのである。

シハヌークと手を組んだポルポトは国民からの人気を高め、内戦に勝利。

クメールルージュは首都を占領し、ロンノル政権は崩壊した。

国王シハヌークは幽閉される。

ここに、ポルポト政権が誕生したのである。

成し得ぬ理想郷

  • 夢と悪夢

やっと内戦が終わり、カンボジアの国民は平和と繁栄を心から願った、だがその願いは叶うことはなかった。

夢は悪夢へと変わった

ポルポトは原始共産主義を進め文字通り

「平等で差別のない理想郷」を作ろうとした

あらゆる手段を使って、資本主義要素を徹底的に破壊したのである。

  • 全ては理想郷のため

平等でなくなる為、自由、貨幣、思想、結婚、娯楽を禁止

知識を持つ人間、顔のいい人間、お金を持っている人間など

ほんの少しでも、人より優れている点があれば処刑

こういった要素を全て取り除いた結果

国民は生産性も、そして生きる楽しみも全てなくなったのである

カンボジアはポルポト政権が続いた僅か3年8ヶ月で人口の170万以上(2.3割)が虐殺、若しくは餓死したのである。

  • 夢の終わり

ポルポトは作りたかった。

「差別のない世界」を

皆が同じテーブルを囲み、同じ物を食べ、同じ話をする。

“優劣”も“競争”も“差別”もない、そんな世界を夢見た。

だが、見た先にあったのは国民の血と涙であった。

気付いた時には、遅かった。

ベトナムが侵攻してきた時カンボジアに戦う力など無く、ポルポトは逃亡した。

1998年に病死。(毒殺説🐜)

個人的に

最悪の独裁者と評される事も多い

ポルポト

人としては、“良い人”だったらしい。

本心から、差別のない“平等”な国を作りたかった。

だが、余りにも犠牲があり過ぎた。

その思想を、熱意を、もっと別の方向に向いてさえいれば…。

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