個人的歴史上人物 聖地エルサレムの守り人「ゴドフロワ・ド・ブイヨン」

  • 2020年5月31日
  • 2020年5月31日
  • 歴史

西暦1096年、中世ヨーロッパ

キリスト教の聖地を奪還する為、各々の想いを持ちながら、エルサレムへと向かう騎士達。其れが十字軍であった。

今回は第一次十字軍の指揮官の一人

ゴドフロワ・ド・ブイヨン」について綴ります。

十字軍の成り立ち

ウルバヌス2世が召集したクレルモン教会会議で高らかに宣言したのである。

「聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還する」

その宣言に人々は神への祈りを掲げ、熱狂した「神がそれを望んでおられる」____と

「キリスト教」の影響力が凄かった時代である。

俺が俺が、俺が‼︎!と名乗りを上げる、諸侯たち!

代表的なのが教皇代理の「アデマール」、トゥールーズ伯「サン・ジル」、南イタリアの「ボエモン」と甥「タンクレード」

そして、ブローニュ伯「ゴドフロワ・ド・ブイヨン」と弟「ボードワン」であった。

ゴドフロワは勇敢で思慮深く、気立ても美しい大丈夫だった。その弟「ボードワン」は兄に憧れていた。

役者は揃った

いざ、聖地エルサレム奪還へ

まずコンスタンティノープルへ

  • 聖地エルサレムへの道

集まった諸侯達の軍勢は、3万程

だが、常に兵站は乏しく、異国の地で戦い続けなければならなかった不安は計り知れない。

古代に例を求めれば、アレクサンドロス大王の東方遠征をやるような物である。

敵の数もどれほどの物か、とんと見当もつかぬ。

エルサレムというキリスト教徒ならば、幼い頃から巡礼したいと夢を見た“聖地”に赴くという、甘美な想いと同時に、異教徒の土地に進むという暗い気持ちが交差しただろう。↑↓←→

  • コンスタンティノープル到着

先ず、十字軍はビザンツ帝国の都コンスタンティノープルへと向かった。(この時点で出発してから4ヶ月かかっている)

既にヘトヘトの十字軍。食糧を提供してくれるよう皇帝に頼むと…。

「良いけど、その代わり領土を呉れ♡」

諸侯達はブチ切れた‼︎!

「聖地への神聖な行軍を愚弄するか‼︎」

「じゃあ、飯あげない」

ぐーぎゅるぎゅる。

悔しい…けど…食欲には勝てない。

最年長であった「サン・ジル」は以下のように署名した「ビザンツ帝国を尊重して、その土地を監視する」_____と

言葉の響きは良いが、解釈の次第によっては「その土地を貰う」と言っているような物である。

腹拵えをした後、諸侯達は出発した。

険しき道程

オリエント周辺の地図
  • ニケーア(ニカイア)攻略戦

此処から先は敵地であり、いつ敵が襲って来るかも分からない土地であった。

まず、ニケーアという城を落さなければならない。ゴドフロアは一番乗りして陣を整えた!(その後に諸侯は到着)

場外に出た兵達を討ち取り、首を城内に投げ込むと言う精神攻撃も与えた。その間にビザンツ帝国と密かに密通を交わし、ニケーアは落ち、ビザンツ帝国の旗が靡いた。

  • 堅城アンティオキア

ムスリムとの戦いにも何とか勝利。次なる目標は堅城アンティオキアだった。

この戦いは至難を極める。攻城戦というだけでも不利な上に、アンティオキアは難攻不落の重要都市。(然し此処を落さなければエルサレムには辿り着けない)

ゴドフロワ、ボエモンド、サン・ジルの三将は其々戦略を考え、攻略には半年以上も掛かったが、何とか城門を開けさせる事に成功。十字軍は城内の市民を悉く殺していった

「聖地エルサレムまであと少し…」という想い十字軍に有ったであろう。。

(ボエモンドはアンティオキアに留まり、エルサレム攻略はゴドフロワとサン・ジルに任された)

信仰と血に染まった聖地

長い道程であった。十字軍の眼前に広がる、聖地エルサレム。__________見る者全てが神への祈りを捧げた。祈りを捧げる、その姿は敬虔な信教者そのものであった。

「…やっと辿り着けたな」ゴドフロワは部下達に語りかけるように言った。気が付けば三年の月日が経っていた。

  • エルサレム包囲

エルサレムを包囲した十字軍であったが、食糧不足と疫病で3万の兵の内1万2000ほどしかまともに戦えるものはいなかった。

だが、彼等にはあると信じていた。“神の御加護“がッ。

幾度となく攻撃を繰り出し、司令官ゴドフロワは攻城塔を用い、突破口を開いた。

若き猛将タンクレードが城内に突入した!そして声高々に怒鳴りを上げた!

ムスリムを殺せ、聖地を奪い返せ

  • 血に染まった聖地

次々と流れ込む、十字軍の兵士達。

その目は血走り、ただ目の前の異教徒を殺す事に躍起になっていた。

その時の虐殺の様子を、文献にはこのようにある。

神殿では1万人が殺された。たしかに、もしそなたがそこにおれば、そなたは我らの足はくるぶしまで殺した者らの血の色になっているのを見たであろう。しかしこれ以上何を語るべきであろう。彼らのだれも生き残らなかった。女も子供も容赦はされなかった

……….? 聖書の教えにこういうものがある。

「汝、殺すなかれ」_____と

ゴドフロワは僅かな部下と共に、虐殺を止める事もなく、ある場所に向かう。エルサレムの神殿であった。

跪き、目を閉じ、そして祈りを捧げて、囁くように言った

主の仰せのままに

聖地エルサレムの守り人

  • 聖地エルサレムの守り人

ゴドフロワはエルサレムに残り、王ではなく、キリストの墓を守る“守護者”として、己の信念を果たそうとした。

そこへエジプトからエルサレムを奪還しようと、兵を差し向けた。その数は3万。(十字軍に残った兵力は一万)ゴドフロワ、サン・ジル、ボエモンはこの”最後の敵”を迎え撃つ。

神への、最後の聖戦へと…。

ゴドフロワの死後、弟であるボードワンが受け継ぎ、王になった。

こうして十字軍が作った、エルサレム王国は名将サラディンから奪い返されるまで、190年間以上続く事になる。

個人的に

第一次十字軍の指導者の一人「ゴドブロワ」は後世に神格化され、九偉人の一人になった。

軍の指導者としては有能としか言いようがない。

間違いなく、第一次十字軍が成功した要因の一人であろう。

だが、優れた武人でありながらエルサレムのジェノサイドを止めなかった(止められなかった)点などは、後世の目からであるが、少し残念だなと思う。

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