
時は紀元前3世紀 地中海の覇権を巡って「ローマ」と「カルタゴ」が争っていた。ポエニ戦争だ❗️
そして、生涯を賭して大国ローマに挑んだ男がいた。無謀とさえ言える戦い。
だが彼はそんなローマをして”最も恐れた男“と言わしめた。
その鮮やかとさえ言える戦いは後世にまで轟かせた。
その男の名は
「ハンニバル・バルカ」
父の無念
少年ハンニバルは父に常々にこう言われた。
「息子よ、ローマはお前の、生涯の敵になるだろう。俺がそうだったように。お前はきっと…ローマを倒す男になる。」
父ハミルカルは偉大だった!だが勝てなかった。その巨大すぎる敵に、決して。
俺には出来なかった。だがこの子なら…。
的な?!
ハンニバルには果てせなかった父の無念を晴らす、そんな想いがあったに違いない。
アルプス越え
義理の兄が死に、若干26でカルタゴ軍の軍権を継ぎ、ローマと干戈を交える時がついに来た!
さて…問題はどこから攻めるか…陸路?海路?いや、既にローマ軍が待ち受けている。
あっ…アルプス山脈越えればいいじゃね
?!
だがハンニバルは成し遂げた。アルプス山脈越え。

兵の半数は落下や、凍死してしもうた。
だが代償も大きかった。
予想外のところから現れたカルタゴ軍!
「アイエエエエ! カルタゴ!? カルタゴナンデ!?」
統率もままならないローマに突撃!数で劣るローマ軍は敗れ去った。
だがこんなものではローマは全く揺らがない。
そしてハンニバルの攻勢はまだ序章に過ぎなかった‼️
ローマが最も恐れた男
ハンニバルはそのまま南下し、トレビアの戦い、トラシメヌスの戦いに勝利!
(この戦いを生き延び、ハンニバルの戦術を学習した男がいた)ここ伏線だよ!!
そしてハンニバルは宣言した。
「私はローマの“同盟国”と戦うのではない“ローマ”と戦うのだ!抑圧された者達を解放する!」
この言葉は反ローマの感情を抱いていた者達の心を揺さぶり、ハンニバル軍に付く者も多かった。
矢継ぎ早に齎される敗戦を聞くローマ市中では悲しみと不安に包まれた
次こそ次こそ…にっきくハンニバルを打ちのめす
ローマは8万という大軍を持ってハンニバルを打ち破ろうとした…勝たねばならない、いや、勝って当然という戦いであった。決戦の場所はカンナエ
だが…結果は「怪異的」。そう言わざるを得ない物であった。
- カンナエの戦い
世界戦史史上に名高いカンナエの戦い。
ローマ軍8万に対しカルタゴ軍は5万しかも兵の質においても装備においても、士気に於いてもローマが優っていた、だがハンニバルは鮮やかとさえ言える戦術を繰り出した!
それが「包囲殲滅」であった


なんじゃあああああああこりゃああああああああああ?!
中央突破を試みるローマ!どんどん押し込む!ハンニバルはあえて引き、両翼を広げる!そして包囲!いやああああああああああああ逃げ場がない🤯後はローマを屠るだけの簡単なお仕事。
ローマ軍は5万以上の死傷者を出し、戦場はローマ兵の骸で溢れた。
誰か、誰かハンニバルを止めてれくれええええええええええ😨
ローマは青ざめ、恐怖した。
「このままではローマが滅びる」とさえ思われた。
だが歴史とは不思議なものだ。ローマはハンニバル、いやそれ以上と言っても過言ではない傑物を生み出してしまった。
その男の名は「スキピオ・アフリカヌス」
時代は名将を求めた
ローマは方針を変え「ハンニバルと直接戦っては勝てないから、ハンニバルの本拠点イベリア半島を攻める」
“迂をもって直となす”
だが決して楽な方法ではなかった。イベリア半島はハンニバルの弟ハスドルバルが守っていた。
イベリア半島攻略の指揮を任されたのが「スキピオ・アフリカヌス」であった
スキピオはカンナエやトレビアの戦いを生き延び、ハンニバルの天才的用兵を目の当たりにし、そして学習した男であった!
スキピオはハスドルバルを破り、イベリア半島を攻略。ハスドルバルは戦死❌ 首はハンニバルの陣営に投げ込まれたという😢。
その後スキピオは本国カルタゴを攻めた。
カルタゴはスキピオの攻撃に耐えきれず、ハンニバルを呼び戻した!
「ハンニバル、国を救えるのはお前しかいない」
最後の戦い、ザマ
5万の兵を連れ、本土へ帰ってきたハンニバル。気がつけば十数年経っており、ハンニバルの髪には白髪が混じっていた。
祖国カルタゴを見て思っただろう
「カルタゴは絶対に滅させはしない、命に換えても」ハンニバルの生涯は全てカルタゴの為に尽くした。それ以前もそしてそれ以後も…
相対するローマ軍は4万程、指揮する将はスキピオ
決戦の地はザマであった
「この戦いでローマかカルタゴのどちらかが滅ぶであろう」
無論勝敗は指揮官であるハンニバル・スキピオに任された。どちらも第一線級、いや世界史の中で最も優れた戦術家の二人であった。
カルタゴ、ローマ両軍の兵はそんな稀代の英傑に指揮されることを誇り、そして、国を救う為に決起した。
前202年 ザマの戦い ファイッ‼️

戦闘は先ず土煙を上げ突撃をした戦象の突撃で始まった!スキピオは兵に隙間を開けさせ、投げ槍でこれを撃滅。
それを見たハンニバルは自軍の騎兵を“敢えて”引かせ、ローマ騎兵を誘き出した。狙いは中央突破をするまでの時間稼ぎであった。それに答えるようにスキピオも陣を整え、カルタゴとローマは正面から衝突した。お互い一歩も引かぬ激戦であった。だが僅かに、カルタゴが押し始め、ローマ軍中央を突破する寸前まで行った…
だが間に合わなかった。ローマ騎兵が戻り、カルタゴの背後を突いた

まるでカンナエの戦いの再現であった
ハンニバルは共に戦って来た者達が散って行く様を見ることしか出来なかった。😨😱
- 戦後
僅かな供回りに守られ、命辛々戦場を逃れたハンニバル。その後カルタゴは屈辱的条件でローマと和平、国力を大幅に削がれた。
ハンニバルは国を立て直す為に全力を尽くした。政治家としても力を発揮したハンニバルだったが、反ハンニバルの讒言に合い失脚し、亡命先でローマ軍に追われ最期は自害して、生涯の幕を閉じた。
個人的に
生涯を祖国の為に尽くした男、文句無しに世界史史上でも五本指に入る戦術家ハンニバル。だが惜しい哉、その五本指に入る人物がもう一人生まれてしまった。
あと同時代、東では「韓信」という名将が活躍していた。風の便りでお互い“噂”を聞いた事があったりして…🤔
運命を感じざるを得ません(`_´)ゞ
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