【古典要約】_人はどこから来てどこへ消えていくのだろう_「方丈記」【書評】

行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。

この世は不思議である。

今日死ぬ人間もいれば、明日産まれて来る人間がいる。

心に響く、古典、鴨長明著「方丈記」 主観も含めて、綴っていきたいと思います。

人は一体

つくづく、不思議だなあと思う。

何で人は生きてるのか、死んだらどうなるのか?

誰にも分からない。

世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る

「豪華な家を建て、権力を見せびらかしても。死んでしまえば、何も残らない。

そこに住んでいるものも、昔と変わらない人は数少ない。」

人間の無常さ、これは避けがたいものですね…😭

特に、そこに住む者〜の件は、とても実感があって感慨深い。

この世は無常

常に変化して、変わらないものなどはない。

人の力は、天災を前にしたら何と脆く儚いものだろう。

長明の時代、都は大火、地震、台風、飢饉、疫病などに苛まれました。

天災という名の、悪魔は。貧も富も、老いも若きも、善も悪も見境なく奪う。

夢も愛も死んでしまえば、全てを失う。ああ何と、儚いものかな

隠遁生活

権力争い、人間関係に疲れた、長明は隠遁生活を始めます。

ヤドカリは小さき貝を好む。
これ事知れるによりてなり。みさごは荒磯にいる。すなはち人を恐るるがゆえなり。我またかくのごとし。事を知り、世を知れれば、願はず、わしらず、ただ静かなるを望みとし、憂へ無きを楽しみとす。

「ヤドカリは小さな貝を好み、ミサゴは人を避ける。私も出来るだけ煩わしい人間社会から離れて、静かに暮らして、楽しみたい。」

長明は山(方丈)の子庵に隠遁して、和歌や琵琶などを楽しみます。

花鳥風月に風流を感じ、たまに来る子供と遊ぶ。

人生で、本当に大事なのは地位でも名誉でもなく、ただ「楽しむ」ことなのです!

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