個人的歴史上人物 余りにも報われない最期「袁崇煥」

  • 2020年4月10日
  • 2020年7月24日
  • 歴史

この人以上に、報われない、そんな生涯を送った人はいないのではないだろうか。

場所は中国 時は明王朝末期

明はボロボロで、滅亡しかかっていた。

そんな、斜陽の明を支え奮起した者がいた。

その男は「諸葛孔明」に並ぶ才を持つとまで云われ、思いやり深かった。

その男の名は…

袁崇煥

才に満ちた男

袁崇煥の生い立ちや前半生については分からないことが多い。

ただ、35の時に科挙という超難関試験に合格している辺り、その才能が窺える。

科挙とは、世界一受かるのが難しい試験とまで云われ、合格率はなんと0.03%とも…😱

科挙に合格した袁崇煥は地方官として勤務していた。

軍事について語り合ったりしているなど、軍政にも明るい男であることを廻りは周知していた!

救国の英雄

この時、既に明王朝は虫の息であった。

魏忠賢という宦官がやった悪徳政治で内部はボロボロで、尚且つ外からは名将ヌルハチ(凄い名前だよね…💦)からの攻撃を受けていた。

明は最早風前の灯。明は救いを求めた!

「誰でも良いから、助けてくれえええええええええ」

国を危機を救うべく、名乗りをあげたのが袁崇煥であった!!

「文官が…」

朝廷はそう思った。だが、そうは言ってられない程に人材が不足していた。

袁崇煥は孫承宗(この人も結構有能、だけど更迭されられる)と共に寧遠城を築城し、防備を固める。

孫承宗の後に来た男が高第という男で、軍事に暗く頼りにならない男だった。

そんな折、とうとうヌルハチが攻めて来た。

高第はビビって逃げた🏃‍♂️💨💨💨💨💨💨

残る兵は僅か1万ほど。対するヌルハチは数倍以上はあろうかという大軍。

兵達の士気は下がり切っていた…

袁崇煥は檄を飛ばした!

「私と共に戦ってくれ!、もし、ここが落とされれば、明の民は尽く、殺され、明は滅びであろう。頼む…私と共に国を救ってくれ

腐敗しきった明国を救い、もう一度復興させたい。嘘偽りないその言葉に兵達は知らぬ間に涙を流していた。そして歓声が沸き起こった。

ここに、絶望的ともいえる戦いが始まった。

  • vs後金

相対す敵は後金の名将「アイシンギョロ・ヌルハチ(凄い名前…大事なことなのでry」

それ以上に圧倒的兵力。

「降伏すれば褒美やるよ笑」というナメプぶり…

袁崇煥はそれをきっぱり断った!

何故なら有ったからだ、秘策が。

それは…ポルトガルから輸入した最新式の大砲「紅夷砲」‼︎
ズドーーーーーン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

天地を揺るがす爆音と同時に後金軍に巨大な弾丸が降り注ぐ!!!

「なんじゃそりゃああああああああああ?!」

仰天した後金軍、兵力による多少の気の緩み、慢心はあったものの見たこともない巨大な武器を相手に後金軍は「どうやって戦えばいいんだ?!」と言わんばかりに、大困惑

ヌルハチ自身も傷を負ったとされ、撤退を決める…。(この数日後にヌルハチは死んでしまう)

ここに、袁崇煥は後金から国を救ったのである!

英雄と暗い影…

凱旋する袁崇煥は______________

紛れもなく、国を救った英雄そのもので有った。

「暗い」そんな国に光が差し込んだ。

だが、決して敵は攻撃の手を緩めることはしない。

ヌルハチの息子であるホンタイジ(息子も凄い名前笑)が攻めてきたのである!

だが、袁崇煥はホンタイジを撥ね除けるように撃退した。またも国を救ったのである。

見事な指揮を取り、防備も一切の隙も無く、兵たちからの信頼も厚かった袁崇煥。“不備”という言葉の欠片も見当たらない。

後金軍は袁崇煥という男を思うたびに、頭が痛くなる程に悩まされ、恐れた。

ホンタイジという男は稀代の名将ヌルハチの血を引き、英明であった。その男が出した結論は…

明の皇帝を利用して袁崇煥を謀殺することで有った

ホンタイジは直ちにスパイを送り込み、袁崇煥は謀反を企ていると画策した。

明王朝最後(ここ重要)の皇帝「崇禎帝」はあろうことか…

その妄言を信じた…

なんでやねん、なんでやねん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

皇帝は袁崇煥に対して…処刑を言い渡した。

余りにも惨すぎる最期

袁崇煥に待っていたのは余りにも惨い刑罰であった、それは凌遅刑

凌遅刑とは「全身の肉を少しずつ削いで殺すという」という処刑方法であった。

斜陽の国を支え続けた名将の最期にしては余りにも悲惨な最後であった。

個人的に

明王朝 最後の名将「袁崇煥

本当に惜しい人物だった。本来こんな死に方していい人物ではなかった。

袁崇煥がずっと健在だったら、明の滅亡を防げたかと言うと、正直無理だったと思う、それ程に明はボロボロだった…。

生まれる時代を間違えた人物と言えるでしょう。

ただ、此れだけは言える

袁崇煥の国に対する忠義とその才覚は

「どの時代、どの国に生まれたとしても名を残すことができたであろう!」

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