時は古代中国春秋時代。
春秋五覇の最初の覇者、それが斉国の
「桓公」
その、桓公を覇者に成らしめた男がいました。三国志のヒーロー、諸葛孔明が憧れ、目標にした男。
それが名宰相と評された「管仲」
今回はその二人について綴っていきます。
管鮑の交わり
管仲こと、管夷吾(以下管仲)の生い立ちは、裕福と言えず、友である鮑叔牙と共に商売をやって、生計を立てていた。
管仲は切羽詰まって、自分の利益を取り分より多くしてしまった事がある。
「今月、ピンチだ…😭そうだ、鮑叔牙の利益から…」
後に最高の宰相と云われる男にしてはあまりに、貧しい生活…😢
鮑叔牙はそれを諫めず「仲は貧しいからしょうがない」と云いました。
それを聞いて、管仲は鮑叔牙の人柄に感動したことでしょう。
管仲と鮑叔牙の友情は、後世に讃えられるほど、硬いものだった。
運命の矢と、公子小白
この頃、斉国は小白(後の桓公)とその兄、公子糾の跡目争いの最中。
斉とは太公望こと呂尚が封じられた、伝統ある国。
管仲は公子糾、鮑叔牙は小白にそれぞれ仕えます。管仲と鮑叔牙は離れ離れになってしまう。
- 一筋の矢
管仲はなんとか抜け出したかった。何も残せていない今までを。
才と知は有り余る程であった。だが、天は俺を選んでくれない。
「小白を討てば、俺は、取り立てられるだろう、だけど叔牙はどうなる…」
管仲の胸は切なかった…そして、小白を待ち伏せして矢を放った。
矢は小白の腹に当たった。「しめた!」管仲は握り拳をして、公子糾に報告した。
死んだと疑わなかった。
斉の桓公
結論から言うと、小白は死んではいなかった!死んだふりをしてやり過ごしたのである。
小白は斉に一早く帰国して、民を纏め上げ、斉の王に即位した。斉の桓公の誕生である。無論鮑叔牙の活躍もあった。
公子糾は追い込まれ、自害し、管仲は罪人として、斉に送られた。
名宰相と名君
- 自分の命を狙った男
鮑叔牙は必死に管仲の助命を嘆願した。
「我が君、どうか、どうか、仲を殺さないでくれええええ😭😭😭😭😭仲は賢い男なんだ、絶対、貴方を天下の覇者にするからあ!」必死の形相であった。
桓公は悩んだ。
鮑叔牙は無論功臣であるが、管仲は何より自分の命を狙った男である。
一体どれほどの男か…。
管仲と桓公は面会をして、管仲を問い質した。
「(もう、これが最後だ、せめて俺が思い浮かんだ理想の国家と政治論について、思う存分話そう)」
管仲は自分の口が許す限り、その政治論を思う存分に吐露した。
桓公は思った、「この男の話は先進的で、類を見ない…。試してみる価値はある。」
桓公は管仲をその日の内に宰相(総理大臣)に任命した。思い切った決断である。
自分を殺そうした相手を重用したのである。凄いことだなあと思う。
- 名宰相と名君
元来生真面目な男であった管仲は仕事に精を出した。
「国を強くするにはまず、民の生活水準を上げる」王ではなく、民を大事にした政治。
産業と商業の活発化で、国内は大いに賑わった!
民達は生活の安定と、営みの楽しみを手に入れた。
治安の維持や軍事の強化にも、力を入れ、文字通り“豊かな国”になったのである。
管仲が作者とされる書物に、管子がある。政治論が気になったら是非一読を。
春秋五覇
斉の桓公は思った。管仲を用いて良かったと。
桓公は常に管仲を頼りにして、事あるごとに相談した。時に、慢心になった時には管仲が諫めた。
斉は他国を圧倒するほどの国力を持つ国になり、その名声は轟いた。
桓公は諸侯を取り仕切り、“覇者”となったのである。
管仲の死
管仲の事を“仲父”と讃える程に信頼していた桓公だったが、管仲は老い、床に臥せってしまった。
「仲父、そなたが死んでしまったら、どうすればいい」桓公は心配し、狼狽した。
「易牙、豎刁、公子開方 この三人は君に取り入り、王座を狙っています。どうか、重用しない様に。」
三貴と云われる、口ばかりが達者なゴマスリ達であった。
「わ、わかったぞ、仲父」
桓公はやや、悩んだ顔をしたが、管仲の言った事を聞き入れた。
「それならば、この管仲、心残りはありません。我が君、どうか、民を、国を大切に…」
桓公が握っていた手が冷たくなっていた。
…
桓公は、まるで自分の心を埋める様に、三貴を起用して、侍らせた…。あちゃー😰
桓公も管仲の死後、一年後に没した
その後は…
孔子曰く
子貢曰、管仲非仁者與、桓公殺公子糾、不能死、叉相之、子曰、管仲相桓公覇諸侯、一匡天下、民到于今受其賜、微管仲、吾其被髪左衽矣、豈若匹夫匹婦之爲諒也、自経於溝涜而莫之知也
論語 憲問第十四・十八
管仲死後のおよそ百年後に孔子が生まれた。
かつて、孔子は「管仲の器は小さい」と評した
だが、「もし、管仲がいなければ、中国は夷狄(外国)に攻め込まれ、ざんばら頭で浮浪する日々を送っていただろう。」
その為人の評価はともかく、その功績については“絶賛”と言って良いでしょう。
個人的に
古くから、君主と政治の“模範”とされた桓公と管仲
富国強兵に努め、力強いリーダーだった二人。
もし、いなければ孔子が言う様に、夷狄に占領されてたかもしれない
あと管仲と鮑叔牙の友情はとてもいいよね。
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