その男は四十で全てを手に入れ、五十で名前以外の全てを失った。
彼の名は時代になった、その男の名前は…
「ナポレオン・ボナパルト」
若き日と読書
ナポレオンはコルシカ島の下級貴族の出で、学校では「コルシカ生まれ」ということを馬鹿にされた事もあった。
やーい!おまえん家!コルシカうまーれ!
小柄で無口な少年だったナポレオンは読書に没頭!「ルソー」や「ヴォルテール」などの啓蒙主義、文学、歴史などを学んだ。
凄い本読むな…笑
勉強家で成績も優秀だったナポレオンは花形であった、騎兵科ではなく、砲兵科に進み。卒業後砲兵士官になります。
革命と頭角
- フランス革命
フランス王ルイ16世及び皇妃マリー・アントワネットは処刑され、「フランス革命」が勃発します。
今までの権威の逆転。民衆の怒り、集団であれば、より強く、増殖する、最早止める術は無かった。
王政から、民主主義へと移り変わる。大きな時代の転換期でした。そんな時代に疾走の如く現れたのがナポレオンでした!シャッキーン(`・ω・´)
- 軍人ナポレオン
有力者、ロベスピエールの弟に才覚を認められ、トゥーロン攻囲戦に出征。
そこで、砲撃を使った戦術でフランス軍に勝利を導きます。ここで、功績を認められ若干24で少将に任じられます!(はやっ!!)
その後イタリア、エジプトと戦地を転々とし成果を上げます。
威張れよ、フランス皇帝
圧倒的人気を誇ったナポレオンは国民から支持され皇帝にまで上り詰めます。凄い成り上がりっぷりだ!
- 皇帝ナポレオン
1804年 威張れよナポレオン!

権力の絶頂を極めたナポレオンだが、敵は多い。
イギリス、ロシア、オーストリアらが第三次対仏戦争を結成、ここに戦争が起こる。
- 戦争芸術
ナポレオンの最も華々しい勝利は、
それは戦争芸術とまで評される、「アウステルリッツ三帝会戦」だ。
うん、もうね名前がかっこ良すぎる。
アウステルリッツでも三帝会戦でもかっこいいのにそれをくっつけちゃうんだもん。
何故、三帝なのか、お答えしよう。この戦い皇帝三人が一堂に介しているのだ!(フランス、オーストリア、ロシア)
…前置きは置いておこう、待ってはくれないぞ。

連合軍は8万に対し、フランス軍は7万数の上では負けており、布陣も盤石ではなかった…
何故なら、有利な高地は連合軍が取った、いや、“取られた”のである。ナポレオンは高地に陣を張っていたが、放棄したのである。そして、敵兵にビビっている様子まで見せつける!
連合軍はしめしめと驕っていたところもあっただろう…。
戦闘は始まった!パァン!
連合軍は攻撃を開始、フランス右翼は必死に持ち応える!高地から援軍を送り。どんどん進んでいく連合軍…
それは、高地の存在を忘れるほどに…。
ナポレオンはしめた!と思った事でしょう。太陽は☀️微笑み、見晴らしは良好であった。
高地を目にも留まらぬ速さで奪い取り、地理的優位を確立。そしてフランス右翼に援軍を送り、包囲と分断を両立。
混乱を極める連合軍。それらを容赦無くナポレオンは粉砕。
- なぜ強かったか。
ナポレオン及びフランス軍が何故強かったか?それは、勿論ナポレオン本人の戦術家として凄かったというのも大きいが、それ以上に麾下の将軍が優秀であった。
不敗のダヴー、参謀総長ベルティエ、万能ネイ、ド派手な伊達男ミュラ、頼もしき友ランヌ、大元帥スルト…そしてベルナドッドなど。有能揃い…。
- 多すぎる敵
だが、いくら勝っても、戦略的不利には変わらなかった。
海ではネルソンという名将に負けたこともあった。
だが、それ以上に決定的なのは、ロシア遠征の大失敗であった。
60万という大軍を動員しての大戦であったが、兵はロシアの寒気に勝てず🥶38万人以上が凍死或いは餓死、病死。国に帰れたのは僅か五千ほどであったという。ありゃりゃ…
ナポレオンは人気を無くし、追放されるorz
百日天下と暗転と、ロマン
- 帰ってきたナポレオン
ナポレオン失脚後 ヨーロッパをどうするのか、ウィーン会議が開かれた「会議は踊る、されど進まず!」 会議はgdgdであった…^^;
そんな中、ナポレオンはエルバ島を脱出💨
民衆の熱は冷めてはいなかった。ナポレオンは復位し、イギリスと戦う。
…
「ワーテルローの戦い」はナポレオンの完敗に終わった。
ナポレオン、最後の戦いであった。
もう、かつての栄光は決して戻っては来なかった。
- なんとロマンなのであろう。
「我が生涯とは、何てロマンなのであろうか」
貧乏貴族から始まり、絶頂を極め、地の底まで転落したナポレオン。彼自身が、一番自分の生涯に“驚き”、“魅せられた”であろう。
最後の言葉は、
「フランス、陸軍、陸軍総帥、ジョゼフィーヌ…」
最後に最初の奥さんを言うのが…。
一体彼は最後に何を思ったのだろう。それは貴方の想像に任せるとしよう!!
個人的に
時代が産んだ英雄
「ナポレオン」
戦術家、政治家、思想家として文字通り革命を起こした男です。現代でも繋がるその功績は計り知れないです。
ただ、ナポレオン戦争で200万人以上が犠牲になったという事も考慮に入れなければなりませんね。